2011年1月29日土曜日

180°SOUTH



渋谷のシネクイントで1/22から上映されている映画、
180°SOUTHを見てきた。


“パタゴニア”創業者 イヴォン・シュイナード“ザ・ノースフェイス”創業者 
ダグ・トンプキンス。 
2人の運命を180°変えた伝説の旅があった。 そして今、ひとりの青年が
その軌跡をたどる―。

仕事帰りだったので眠くなるかな、と思ったが最後まで眠らずに見れた。

内容は平凡だけど、映像は美しかった。
監督がサーフフィルムを得意としている人のようで
サーフの撮り方で山を撮るとこうなるのか、と思った。
単純にイースター島やパタゴニアに行ってみてえなあと思う。

一番、印象に残ったのはパタゴニアのコルコバト山を目指す途中のキャンプで
イヴォンが吐いたこのセリフ。

『私が今、いたいのはまさにここだ。過去でも未来でもない。
 この瞬間を大切にしたいと思う。』

でも私はこう思ったのです。

2011年1月21日金曜日

PEAKS 2011年2月号



最近、注目している雑誌がある。PEAKSである。
創刊されてこの号で15号目である。当初はどうせ、すぐに休刊(廃刊)
になるんだろうな、と思っていたが、続いているのである。

以前は『山道具』のインプレッション雑誌という存在であったが、
最近は企画が充実してきている。ターゲットは、これから山に登って
みよう、という人たちなのだが、『山の旅メシ』やギア・メーカーに
ついての記事(今月はモンベル、今までスノーピークやORが取り上げ
られている。)、シェルパ斉藤の山小屋についての記事はは毎月チェック
してしまう。

また、業界人へのインタビューが毎月一人づつあるが、最近は
坂下 直枝(ロストアロー代表)
鈴木 みき(イラストレーター)
横山 勝丘(アルパインクライマー)
と脈絡はないものの、コアな面子が出ている。


完全に窮地を脱出したときに感じる『俺は生きているんだ』という実感
ほど強烈なものはありません。・・・ただ、それを求めて山に登るかと
いえば、そんなことはない。(坂下 直枝)

(アラスカで友人2名が遭難して帰ってこなかったので)
『人はいつ死ぬか分からない』やりたいと思ったことは、やりたいと思
ったときにやらなきゃと考えた(横山 勝丘)

など、読ませる良い記事になっています。

山○渓谷を超える雑誌になることを期待します。


2011年1月17日月曜日

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む --角幡唯介--



世界最大の規模を誇るチベットのツアンポー峡谷、私はそこを探検しよう
と思っていた。人跡未踏と言われるこの峡谷の初踏査をやってやろうとい
う野心家は、この100年でざっと20人から30人はいただろう。だが
完全に成功した人間はまだいなかった。私はそれに挑戦するつもりだった。
日本を出発したのは2002年12月10日、単独行だった。


まだ、人類が立ち入っていない、秘境の探検行・・・
魅力的である。また、本の帯にも開高健ノンフィクション賞受賞!とか
茂木健一郎氏を初めとした推薦コメントがずらり、書かれている。

のでかなり期待して読み始めたが、、正直、物足りない。

あまり聞き慣れないツアンポー峡谷がいかに厳しい環境にあるのか
読者に分かりやすくするために、これまでの探検史をコンパクトに
まとめてあったり、近年起きた日本人の死亡事故が詳しく書いてあった
り、著者のツアンポー峡谷に対する熱い思いは伝わってくる。

が、どうして〜〜も、本の世界にどっぷり入れない。
文章力が沢木耕太郎や佐瀬稔といったノンフィクションの大家に遠く
及ばないのはしょうがないとしても、クライマー(探検家?)が書いた
本と比べても、『垂直の記憶』や『サバイバル登山家』よりも完成度
は落ちる。。(と思う。)


構成に凝りすぎているような気がして、もう少しシンプルにして
スピード感を出した方がよりおもしろい本になる気がする。
テーマは素晴らしいと思うので・・・

2011年1月11日火曜日

『残された山靴』--佐瀬 稔--




帯にある『志半ばで山に逝った登山家8人の最期』とある通り、
佐瀬 稔(故人)が近代・日本登山界のレジェンド(長谷川恒男、
森田  勝、小西 政継etc・・)の”最期”について書いた本。

レジェンド達の関係や当時の業界内での立場がコンパクトに
まとめられています。エベレスト(8,000m over)で長谷川恒男が
隊の仲間を助けにいくシーンは超人的です。それがきっかけで
長谷川は単独登攀に傾斜していくらしいのですが・・・


へえーと思ったのは長谷川昌美さんのあとがきでした。
長谷川恒男がウルタルⅡ峰で亡くなったのが10月10日
→だからハセツネも10月10日前後の休日。

2011年が20回忌になるのでハセツネの第3関門である御嶽神社
の境内内にモニュメントが建つそうです。

2011年1月6日木曜日

劔岳 早月尾根



1月3日 14:30 劔岳の頂上から早月尾根を下山開始する。
頂上直下のガリーを顔を壁側に向けてクライムダウンを始めた矢先、
左足とピッケルを持った右手が壁から離れた。バランスを崩し体が
背中側にフラッと流れたような気がした。慌てて目の前にあった
残置スリングを掴む。

今、、、滑落しかけた・・・・よネ??

体勢を立て直し、下を覗いてみる。
音もなく、し〜〜んとしている。
もし、滑落したら池ノ谷と東太谷のどちらに落ちたのだろうか??
どっちに落ちても秋まで死体は浮かんでこないのだろうか??

なんでこんなところに来てしまったのだろう?
心の底から後悔した。
早月小屋の近くに張ったテントを出発したのが7:30。
それから、7時間が経過しているが、体はまだ山頂の近くにあり
テントに辿り着くのはかなり先のように思えた。
一番、気温の高いはずのこの時間帯でも手元の温度計はマイナス15℃。
風が弱いため体感温度はそれほど寒く感じないがこれから気温は下が
っていく一方である。
登頂はなんとかできたが、心身共に疲労困憊で山頂からの素晴らしい
景色を楽しむ余裕は全くなく、せっかく持ってきたカメラを取り出す
気力もない。今の望みはテントで暖かいコーヒーを飲み、シュラフの
中でぬくぬくと眠りたい。そんなささやかな希望も、もしかしたら現
実にならないかもしれない。そう思ってしまう。

冬の劔は自分には早過ぎたのだ。
技術、体力、精神の全てで自分の実力を遥かに超えている。
泣きたくなってくる。ここで涙を流したら、涙もすぐに凍ってしまう
のだろうか。

でも無事に帰らなくては。
冷静に気持ちを立て直そう。テントまで無事に帰る。これは今の自分
には遠い目標に思える。こういう時は仕事でいつもやっているように
大きな目標を小さなタスクに分解してみよう。
今、自分がやらなくてはいけないこと、できることに集中しよう。
まず、このガリーをちゃんと降りてみよう。この局面だけに限れば
過去にもこういう場面は何回もあった。

まず次に自分の足を置く位置を確認してから足を置く。その時にアイ
ゼンが壁から剥がれないように踵は必ず下げる。ピッケルのピックが
効いていることを目で確認する。この繰り返しで降りられるはずだ。