2010年12月20日月曜日

山野井泰史 講演会メモ(前半)

11月30日に開催された

谷甲州×山野井泰史「ひとりで山に登る」講演会


に参加してきました。






山野井さんの講演部分だけ文字に起こしました。


※スライドを使ったトークでした。
※筆者の興味で山野井さんにだけになってます。
※正確な議事録ではないです。間違ってたら教えてください。




僕の友人で単独登山中に亡くなった方、結構多いですね。
多分10人・・15人ぐらい亡くなってます。

僕は10歳の時くらいから山に入ってますけど、
中学生に入ったころから岩登りをしてますけど、
パートナーがいなかったので1人で登り降りしてました。

周りのパーティーを見ると仲間に入れてほしいなってちょっと
うらやましいと思ったのを覚えています。
そして序所に50mから60mの岩場もロープをつけずに登り降りする
ようになりました。
僕は少し自分のレベルが上がったなっていうのが確認できてから
次のステップにいくようにしてました。
進歩するのが非常にゆっくりだったと思います。
有名な谷川岳の一ノ倉沢の岩壁も高校1年生くらいのときには1人で登って
たりしたと思います。

高校時代、学生の友人たちもたくさんいましたけども映画に行ったり
友達たちと遊んでたりしても楽しいなと思ったことは全くなかったですね。

やっぱり1人で谷川岳の岩場に行って登ってるときが1番幸せだったような
気がします。それで高校を卒業してすぐにアメリカのヨセミテ国立公園に
旅立つわけです。

大きい岩壁があるわけですけども800mほどのエルキャピタンという大きい
岩壁を18歳のときに目指しました。
この当時、習わしとして出発前に道具を並べて記念撮影をするっていうのは
外国人もよくやってましたね。ですから僕もこう並べてこれから
エルキャピタンを一人で行くぞっていう気持ちでいたときです。


ただエルキャピタンが800mある岩なんですけど登れたのは80mくらい
しか登れませんでした。というのも見上げてるともう段々、怖くなって
きて、結局まだこのころは精神的に未熟でこんな大きい岩壁を登れるよう
にはなってなかったんでしょうね。

それから3年間くらは大きい山には全く行きませんでした。
10mから20mのフリークライミングしか僕はやらなかったと思います。
もちろん単独登山も全然やりませんでした。

それから3年後、もう1回1人でエルキャピタンに行ってなぜか
うまく登ることができました。これはなんでか分からないんですけど、
毎年アメリカに行って大きい山を見慣れたというのがあるかもしれません。


その後ヨーロッパアルプスでもモンブランの氷壁とか登りました。
まあ、ただヨーロッパとかアメリカとは怪我をしたらすぐにヘリコプターが
飛んできてくれる。こういう守られてる・・・そういうところじゃなくて
もっと荒々しい土地を求めて北極圏のバフィン島というところに23歳のとき
に僕は行きました。

これが僕が目指した1300mくらいの壁なんですけど。
1週間キャラバンをして岩場を目指したんですけど荷物は90kgありました。
僕は90kg担げますけども体を壊しそうなので、3回に分けて少しづつ進み
ました。


この時は本当に緊張しましたね。怪我しても誰も助けにきてくれない。
またこの壁を何日かかって登りきれるか分からなかったからです。
1日で登れるのは100mから200m、そんなもんです。
それを少しづつ荷物を引き上げていきます。これが途中でひっかかって
しまってイライラしてましたね。
えー大体、行動時間は1日10時間から15時間くらい。
長い日ですと17、18時間登り続けてたと思います。
それでも100mから200mしか進まなかった。
まあ、当時は装備も良くなかったですし、技術も未熟でしたけども、
やる気だけはある人だったですね。

まあ、7日目にして山頂に立ちました。
僕は多分、最初で最後だと思いますけど、山頂で涙を流しましたね。
こんなちっぽけな体でも気持ちさえ保ってればこんな大きい岩壁も
登れるんだと感動しました。


(後半に続きます)

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